36協定違反のリスクを「最大30万円の罰金」程度と軽く考えていませんか?それは大きな間違いです。違反が発覚した際、企業が負うコストは罰金だけではありません。数千万円にも上る未払い残業代の請求、訴訟費用、社会的信用の失墜による採用難など、経営を根幹から揺るがす7つの深刻なコストが存在します。
リスク1:刑事罰(6ヶ月以下の懲役または30万円以下の罰金)
まず、最も直接的なリスクが、労働基準法第119条に基づく刑事罰です。36協定を届け出ずに法定労働時間を超える残業をさせたり、協定の上限(年720時間など)を超えて残業させたりした場合、経営者や労務管理担当者が処罰の対象となります。
リスク2:未払い残業代の遡及(そきゅう)支払い
刑事罰以上に金銭的インパクトが大きいのが、民事上の「未払い残業代」の支払いです。労働基準監督署の調査や、退職者からの申告により違反が発覚した場合、過去に遡って未払いの割増賃金を支払うよう命じられます。
- 請求時効は3年:2020年の法改正により、賃金請求権の時効は当面3年となっています。
- 遅延損害金:退職後の従業員から請求された場合、年14.6%もの高い利率の遅延損害金が加算されます。
従業員数が多い場合、支払額が数千万円から億単位に膨れ上がるケースも珍しくありません。
リスク3:労働基準監督署による是正勧告と調査対応コスト
違反が疑われると、労働基準監督署による「臨検監督(立入調査)」が実施されます。調査官が事業所に赴き、タイムカードや賃金台帳、36協定届などの書類を徹底的にチェックします。
違反が認められれば「是正勧告書」が交付され、期日までに改善報告書の提出を求められます。この調査対応や報告書作成のために、人事担当者や経営者が膨大な時間と労力を割かれることになり、その間、本来の業務がストップするコストは計り知れません。
リスク4:裁判所からの「付加金」支払い命令
未払い残業代の請求が民事訴訟(裁判)に発展した場合、裁判所は、企業が支払うべき未払い残業代の金額と同額の「付加金」の支払いを命じることができます(労働基準法第114条)。
例えば、未払い残業代が1,000万円と認定された場合、それとは別に付加金1,000万円、合計2,000万円(+遅延損害金)の支払いを命じられる可能性があるのです。これは、悪質な違反に対するペナルティ的な意味合いを持ちます。
リスク5:社会的信用の失墜(ブラック企業認定)
労働基準法違反で送検されたり、是正勧告に従わなかったりした場合、厚生労働省のウェブサイトで企業名が公表されることがあります。いわゆる「ブラック企業リスト」への掲載です。
一度公表されると、その情報はインターネット上に半永久的に残り、取引先からの信用を失ったり、金融機関からの融資が厳しくなったりするなど、事業活動に深刻な悪影響を及ぼします。
リスク6:採用コストの増大と人材流出
リスク5とも関連しますが、企業の違法残業の実態は、口コミサイトやSNSを通じて瞬く間に拡散されます。これにより、「あの会社はブラック企業だ」という評判が広まると、採用活動は極めて困難になります。
求人広告費をかけても応募が集まらず、結果的に採用コストが高騰します。さらに、既存の優秀な従業員も、劣悪な労働環境に嫌気がさして離職してしまい、組織力が低下するという負のスパイラルに陥ります。
リスク7:従業員のメンタルヘルス不調と生産性低下
上限規制を超えるような長時間労働は、従業員の心身の健康を確実に蝕みます。メンタルヘルス不調者や過労死・過労自殺が発生した場合、企業の安全配慮義務違反が問われ、莫大な損害賠償請求に発展する可能性があります。
そこまで至らなくとも、疲弊した従業員の集中力や創造性は著しく低下し、結果として組織全体の生産性が大きく損なわれることになります。
リスクは複合的に発生する
これらの7つのリスクは、個別に発生するのではありません。「労基署の調査(リスク3)が入り、未払い残業代(リスク2)と付加金(リスク4)を請求され、企業名が公表(リスク5)された結果、採用が困難(リスク6)になり、既存社員の負担が増えてメンタル不調者(リスク7)が続出する」というように、複合的に連鎖して経営を圧迫します。
36協定の遵守は、単なる法律問題ではなく、企業を守るための最重要の経営リスク管理なのです。(人事労務に関する他の記事も読む)
よくある質問(FAQ)
Q1: 違反が発覚する最も多いきっかけは何ですか?
A1: 在職中または退職した従業員による、労働基準監督署への「申告(タレコミ)」です。
「残業代が正しく支払われない」「長時間労働が常態化している」といった情報を、従業員が証拠(タイムカードのコピーや業務メールの履歴など)と共に持ち込むケースが後を絶ちません。労基署は申告に基づき、ターゲットを絞って調査に入ることが多いです。
Q2: 「30万円の罰金」なら、払った方が安いのでは?
A2: その考え方は非常に危険です。
記事で解説した通り、罰金は数あるリスクの一つに過ぎません。本当に怖いのは、遡及3年分の「未払い残業代」と「遅延損害金」、さらに裁判になれば「付加金」が加わることです。これらは罰金とは比較にならない金額(数千万円単位)になることが多く、経営の根幹を揺るがします。
Q3: うちの会社は「管理監督者」が多いから大丈夫ですか?
A3: 法律上の「管理監督者」の範囲は、企業が考えるより非常に狭いため注意が必要です。
「店長」「部長」といった役職名だけで判断されず、①経営方針の決定に関与しているか、②出退勤の自由があるか、③地位にふさわしい待遇(給与)か、といった実態で厳格に判断されます。実態が伴わない「名ばかり管理職」と判断された場合、36協定の上限規制や割増賃金の支払い義務がすべて適用されます。

