経営者のための労務リスク対策レポート 第7回:懲戒処分の落とし穴:鹿島建設事件に学ぶ「解雇できるはず」の危険性
従業員による暴力や脅迫といった行為は、多くの経営者が「即時解雇に相当する」と考えるでしょう。しかし、その常識は法廷では通用しない可能性があります。令和6年10月22日に東京地方裁判所が下した鹿島建設事件の判決は、懲戒手続きの厳格さと、法が求める「公平性」の原則について、企業に重要な教訓を突きつけます。本稿ではこの事件を深掘りし、一見明白な解雇事由であっても、なぜ無効と判断されうるのか、そのメカニズムを解き明かします。
事件の概要:鹿島建設で何が起きたか
本件で問題となった従業員の行為は、上司に対する暴言、「殺すぞ」といった脅迫、そして暴行に及びました。裁判所も、これらの行為があった事実自体は認定しています。これに対し、会社側は懲戒解雇ではなく、普通解雇の形式で当該従業員との労働契約を終了させました。
しかし、裁判所の判断は「解雇無効」でした。判決は、この解雇が客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であるとは認められないと結論付けたのです。
司法の論理:なぜ会社は敗訴したのか
会社が敗訴した最大の理由は、裁判所が「平等原則」を重視した点にあります。この原則は、同様の事案は同様に扱わなければならないという法の大原則です。実は、鹿島建設では過去に、別の幹部社員が同様の暴力事件を起こしたにもかかわらず、訓告や懲戒処分といった公式な処分がなされていなかったのです。この過去の対応が、今回の解雇の正当性を根底から覆しました。過去の寛大な措置が、事実上の「社内基準」となり、今回の従業員だけを厳しく罰することは、恣意的で不公平な差別的取り扱いであると見なされたのです。
第二に、裁判所は「段階的な懲戒手続きの欠如」を指摘しました。会社は、問題の従業員の過去の言動に対し、解雇に至るまで一度も正式な懲戒処分を下していませんでした。警告や譴責といった軽い処分を段階的に科すことで改善を促すプロセスを経ずに、突如として最も重い解雇という処分を下したことは、手続き上の相当性を欠くと判断されました。
第三に、「解雇回避努力の不足」も問題視されました。判決は、会社が解雇以外の代替措置、例えば配置転換などを十分に検討したとは言えないと指摘しています。これは、日本の労働法における「解雇は最終手段であるべき」という思想(解雇権濫用法理)を反映したものです。
この判決が示すのは、企業の「書かれざるルール」や過去の先例が、就業規則と同じくらい法的な拘束力を持つという厳しい現実です。一度でも特定の事案で寛大な対応を取れば、それが新たな社内スタンダードとなり、将来の経営判断を縛る可能性があります。裁判所が問うのは「従業員が悪いことをしたか」だけでなく、「会社はその対応において公平かつ一貫していたか」なのです。経営者による一度の裁量的な判断(あるいは不作為)が、後々のリスク管理において自社の手足を縛る法的先例となりうることを、この事件は明確に示しています。
鹿島建設事件の教訓を踏まえ、経営者は懲戒処分を行う際に以下のチェックリストを遵守する必要があります。
- 一貫性の監査(The Consistency Audit):重大な懲戒処分を検討する前に、過去の同種事案における対応を全て洗い出してください。一貫した取り扱いを証明できますか?もしできない場合、なぜ今回は異なる対応を取るのか、その合理的な理由を明確に説明できなければなりません。
- 適正手続きの遵守(The Procedural Gauntlet):プロセスを省略してはいけません。口頭注意、書面での警告、譴責・減給・出勤停止といった正式な懲戒処分、そして最終手段としての解雇という、明確な段階を踏むべきです。そして、その全てを文書で記録してください。
- 「最終手段」の証明(The "Last Resort" Test):配置転換、再教育、降格といった、解雇よりも軽い措置を検討し、なぜそれらが不適切あるいは不可能であったかを必ず文書で記録してください。「なぜ解雇が唯一の選択肢だったのか」を客観的に示すことが重要です。
- 裁量の罠(The Discretion Trap):管理職には問題解決の権限を与えるべきですが、その裁量的な判断が法的な先例を作り出すことを徹底的に教育する必要があります。寛大な措置を取る場合は、なぜその事案が例外的であるかを明確に文書化し、慎重の上にも慎重を期して適用しなければなりません。